southboundtrain1961’s blog

本、音楽、美術、映画、料理、外国語等々、感じたこと徒然。

「最強のナンバー2 坂口征二 」佐々木英俊(イーストプレス。2018年)

こういう本が出ていたのだ。

アントニオ猪木新日本プロレスを支え続けてきた坂口征二の評伝。語られることの少ない名レスラーだけに貴重。作者はファンクラブ代表で、とにかく記録が細かい。

東京オリンピックにはあと一歩で出られず、打倒へーシンクの一番手だった坂口。同じ相手に二度負けたのはへーシンクだけ、とどこかで書いてあった。そして全日本選手権で優勝し、柔道日本一の看板を背負った柔道界の次世代のホープだったのだ。このステイタスは、今の時代には想像出来ないプレッシャーだったのではないか。この前半生の柔道時代の記載は貴重だ。

坂口のプロレス入りはリアルタイムで覚えている。正にスター誕生といった華やかさだったし、とにかくプロレス界を越えた、大きな社会的なニュースだったと記憶している。日本プロレス時代は、アメリカ修行中の期間も長かったし、余り強烈な印象はない。だが、今作では、今まで全くといっていいほど語られなかった、アメリカ修行時代の記載が大変面白かった。ドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界王座に三回も挑戦してるなんて、全然知らなかった。アメリカ時代の実績では、むしろアントニオ猪木より上だったのではないか。

1974年の猪木、坂口の合体はプロレスファンの希望の星であり、新しい時代の幕開けという、プロレスファンなら誰しもワクワクする気持ちになったはずだ。第一、やっと猪木の試合がテレビで再び見られるようになったのだ(信じられないだろうが、新日は設立から1年以上、猪木の試合はノーテレビだったのだ)。全てのプロレスファンは、NETテレビを連れてきてくれた坂口に感謝した。この二人の合体がなかったら、その後のプロレス史は全く違ったものになっただろう。

この年から1年間は、猪木はストロング小林戦、大木金太郎戦、ルー・テーズカール・ゴッチとの世界最強タッグ戦、ビル・ロビンソン戦など、奇跡的な名勝負を連続で、一気にトップレスラーに昇りつめた。坂口はその伴走者だった。そして新日2トップとして、猪木との広島での初対決は、タイプの違う二人の持ち味がフルに発揮された名勝負だった。その後、ナンバー2としてのポジションが定着していった。この時期は、猪木サイドからの発信は山ほどあるが、坂口サイドからの見方はほとんどなく貴重だ。記述は正確で、フラットである。

内容はレスラー坂口の評伝が半分で、あとは組織のナンバー2の在り方を示した経営者としてのビジネス本とも読める。ナンバー2に徹する、それも上は猪木なのだ。このポジションは誰も出来ない。坂口にしかつとまらない。それだけ凄い人なのだ。

やや残念なのは、この本の取材当時はアントニオ猪木は元気だっただけに、もう少し猪木本人の証言が欲しかった。